今日は、発達障がいの息子の話をしたいと思います。辛い過去の話になりますが、同じ思いをしているお母さんに少しでも共感してもらえる話ができればと思います。
そして、今の息子の成長から、少しでも安心に繋がればと思います。
辛い出産
彼を出産する時に私は妊娠中毒症と言う病気にかかってしまい、高血圧になり救急車で運ばれる事となりました。
もう18年も前になりますが、いまだにはっきりと覚えている悲しい出来事です。
母子ともに危険だと言う事で急遽、帝王切開にて出産をしたわけなのですが、生まれた赤ちゃんは1000gと小さな小さな姿でした。
私は、救急車で意識が薄れゆく中、当時1歳半の長女の「お母さん」と呼ぶ声に、もう死ぬのかな?娘にもう一度会いたいなと思いながら、意識がなくなっていきました。
息子は生死を彷徨いながら何とか一命をとりとめてくれました。息子はすぐにNICUに入っています。
目が弱視になるかもしれないとか、歩けないかもしれないかもとか怖い事を色々先生に告げられ、夫婦で泣いていた事もあります。
そして障がいが残るかもしれないと、この時に告げられていました。でもそれを聞いて
どんな障害を持とうと生きてさえいてくれればいいと思いました。
育児ノイローゼから復活する
当時はかなり体調が悪く、その上精神的にもかなりまいってしまい、私は育児ノイローゼになり、そんな状態が長く続きました。
自分の体調が良くなっても、息子は体が弱く熱を出すと必ず入院してしまい、3年間は病院生活が続きました。
周りの方々(親、友人、病院の先生)の助けがあり、息子は保育園に通えるようにまでなり、不安は尽きませんでしたが、元気になっていきました。
目は未熟児網膜症と言う病気になって失明するとダメなので、レーザー治療を受けて普通に見えるようになりましたし、歩くこともできました。
息子の幼少期は短くまとめましたが、こんな感じでした。
未来は明るい!
そして、ここから小学生になっていくのですが、なかなか思うようにいかない子育てが長く続く事となります。
この続きはまた書いていこうと思っています。
このブログを読んでくださっているお母さんで、現在同じ悩みを抱え苦しんでいる人がいるとしたら、今の私が過去の私に言える事は
大丈夫、親子で未来は明るくて笑っているよ!(^_-)-☆
と言えます。だから悩んでいるお母さんは、今は苦しいと思いますが、未来はきっと明るいはずです。
私は今は本当に楽しい日々を送っていまが、当時は明日地球が爆発してなくなればいいとさえ思っていまうほど辛かったです。
そして、一人で苦しまずパートーナーや親、同じ悩みを分かり合える友人などに思いきり話してみましょう。心が軽くなります。
できるだけ、ストレスを抱え込まず、同じ悩みを持つ親御さんとのコミュニティに参加したり(それがストレスなら無理にいかなくていいです)、
外に出かけたり、心をゆったりと持ってほしいです。
それでは、よい1日をお過ごし下さいませ!
息子の幼少期のお話はこちらより↓ happy-ao.hatenablog.com