先日は、息子の通っている病院で無事に診断書をいただくことができました。
最後の特別児童扶養手当の更新に診断書が必要だったから
診断書を書いてもらいました。
特別児童扶養手当は20歳までもらえます。
私は、18歳で終了だと思っていましたし、担当医師もそうだと思っていたようです。
↓ 前回の記事です。
診断書をもらうのに、5.000円かかりました(^^;)
まぁ、これはしかたがない。
うちの場合は、引き続き、手当をもらえそうだけど
診断書をもらって、手当がおりなかったら、ショックですよね~(◞‸◟)
何とか通ってほしい!と思います。
うちの息子は、療育手帳の障害程度が、最初はB2と軽度でした。
でも、途中で中度B1に変わったのです。
今回は、療育手帳の取得をする時に、私が悩んで苦しかった思いなど
自分との葛藤についてや、療育手帳の障害の程度が変わったことを書いてみます。
療育手帳を取得する時の気持ち
小学校5年生の時に、初めて特別児童扶養手当のことを知って
息子の療育手帳を取得しました。
私のその時の気持ちは複雑でした。
療育手帳を取得するか?しないか?
で、すごく葛藤がありました。
自分の子供の障害をまだ認めたくなかったのですね。
自分でも、自分の気持ちがよくわからなくて
しばらく悩み、苦しんで、泣いていた日々がありました。
こんな気持ちを、友達に相談することもできなかったし
やっぱり相談できる人は、家族でした。
夫さんに「息子の療育手帳の取得に悩んでいる」と話をしたら
夫さんは「息子のために療育手帳は取得した方がいいよ」と言ったと思います。
そして、実の母にも相談したら、夫さんと同じ意見だったので
療育手帳の取得をしよう!と決めました。
息子の療育手帳を取得する時の私の気持ちは、揺れ動いていました。
何で、すぐに決められなかったのか?
それは、療育手帳を取得することで、デメリットはないのか?
療育手帳を取得することで、これから息子は障害者として生きていかなければいけないんだ。
そんなことが、頭によぎり、眠れない日々が続いたのです。
その当時、息子は、まだ小学校5年生で、健常者としての道もあるかもしれないと
私自身が可能性を残していたからです。
正直、苦しい決断でした。
私の人生の中で、その時は1番の苦しみだったのではないかな?と思うほどです。
後にこの気持ちを、同じ障害をもつ子供のママさんと共有できたことで
心が軽くなったことを覚えています。
子供の障害を通じて仲良くなったママさんたちに言ったら
「私も、○○さんと全く同じ思いだったよ」と話してくれたのです。
苦しい時は、同じ障害をもつ子供のママさんと話してみて下さい。
本当に心からスッキリしますよ!
私は、障害をもつ子供のママの会の集まりに行ったのが
きっかっけで、障害をもつ子供のママさんたちと出会えました。
今となっては、そんなに苦しむことはなかったのになと思っています。
何もわからない、無知だった私は、不安がいっぱいだったのです。
不安と言うのは、知らないから、不安になるのです。
知ることで不安は和らぎます。
療育手帳を取得して、デメリットはなかったし
逆にメリットが多かったです。
理解することで、だんだん、大丈夫だ!と変わってきました(^^)
療育手帳の障害程度が軽度から中度へ
息子は、初めて療育手帳を取得した時の障害程度はB2で軽度でした。
手帳取得が初めてだったので
その時は「息子は軽度なんだな~」とぼんやりと思っていました。
ですが息子は、中学に入学してから、しばらくすると
色んな問題もでてきて、支援級のまわりの子と比べると
まだまだ幼いし、できない事もたくさんありました。
そのうちに、私は、息子が障害の程度が軽度ではないのでは?
と思ってきたのです。
他の人の、手帳の障害程度を聞くたびに、何だか基準がよくわかりませんでした。
そして療育手帳の更新の中学1年の時に、障害の程度がB1の中度に変わりました。
私の思っていた通りとなったのです。
手帳更新の親の聞き取りの際に私は、細かく息子の生活について話しました。
できること、できないこと、話は上手くても、理解力がそれにともなっていないことなどを、事細かく、メモ帳に書き留めていたので、それを見ながら話しました。
こうして、息子は療育手帳の障害の程度が中度に変更されました。
療育手帳が軽度から中度に変わったことで、更新の際に、特別児童扶養手当を受けやすくなったのです。
今回は、療育手帳の障害の程度が変わることもあるというお話をしました。
参考にして頂けると幸いです。
それでは、今日はこの辺で終ります。
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